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Piece.10 「花摘」

Piece.10 「花摘」

カンボジア・アンコールワット 朝日を見たあと他の場所に行き、昼過ぎにまたアンコールワットに戻ってきた。
 観光客で溢れ返っていた。朝の静けさはもうどこにもなかった。
 中庭には池があり水蓮の花が何本も生えていた。昼なので花弁は閉じていた。
 女の子が2人、腰まで水に浸かりながら蓮の花を摘んでいた。おそらく仏像の献花か、土産物として売るのだろう。次々と手際よく摘んでいった。隣にいた日本人のオバサンたちが「アラアラ、なくなってしまう~」などと行っているのが聞こえた。
 花摘みは彼女たちにとって当たり前の日常なのだろう。自然に生えている花を摘んでそれを売って生きていかなければならないのだ。広いアンコールにはそこに暮らす人たちの家も建っている。彼らは、時には花を摘み、物を売って暮らしているのだ。

 何らかの生活の手段を得ている人々は幸せである。
 ここには物売りの子供と同じくらい、何も売るものがなくただ凝っとこっちを見つめ手を差し出してくる子供もいる。裸の乳飲み子を抱えて手を合わせている母親もいる。柱の影に筵を敷き視線を空に漂わせながら座っている目の見えない老人、足や手や腰が奇妙に捻じ曲がった老婆が静かに佇んでいる。カンボジアなどでは物乞いをするためにわざと自分の子供の足や手を折ったり切り落としたりしてしまう親もいると聞いた。
 アンコールワットの西参道テラスの右側中ほどにいつも4人の楽団がいた。
 太鼓と弦楽器の単純な音だったが、楽しげでもあり悲しげでもある音だった。彼らは皆カンボジアの軍服を着たおじさんだった。そして、皆片足または両足が無かった。

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 旅をして、僕達は色々な場所へ行き色々なものを見て聞いて嗅いで味わって肌に触れ感じて考える。そして色々な人に出会う。そうすることで自分が今までいる世界とは違った世界の時間や空間や記憶をほんの少しだけれど共有することができる。いや、共有させてもらっているのだと思う。
 だから僕は、自分の周りを違う世界が通り過ぎていくような旅ではなくて、その世界を自分が進んでいく、そういう旅をしていきたい。

( 1999 / Angkol Wat / Cambodia )