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2-17 さらば、ネパール

2-17 さらば、ネパール

 ようやくカトマンドゥから抜け出せる日が来た。天気も上々、移動にはもってこいの気持ちの良い朝である。空気も清々しい。金属の細いフレームの眼鏡を掛けた若い男が宿に迎えに来た。どうやらバスのチケットを手配した代理店の関係者のようである。連泊した宿の若い従業員達に挨拶をして路地を抜け通りに出ると、1台のタクシーが停まっていた。黒く塗られた軽のワゴン車で、この辺りでよく見かけるタクシーだ。案内の若い男に促されタクシーに乗り込み、朝の光に眩しく光るカトマンドゥ市街を走り抜ける。15分ほどでバスターミナルに到着した。1ヶ月程前にトレッキングへ出発した場所である。
 タクシーから降りてターミナルビルへ向かおうとすると、運転手が運賃を要求してきた。てっきりこれも乗車券代に含まれているものだと思っていた僕は、面食らって少し腹が立った。運転手に金額を尋ねると、なんと150ルピーだと言う。馬鹿げた値段だ。相場の5倍以上はする。そんな金額払えるか。そう言うと彼は「今はストライキやってる最中だから普通はタクシーなんか走らないんだよ」と開き直ってそう言った。ふざけるな、ストライキは延期になったと聞いたぞ、それに他にタクシー走っていたじゃないか、と強い調子で言うと、「いいから払え」を繰り返した。仲裁を期待して案内の眼鏡の若者を見ると、彼は視線を逸らせてしまった。再び運転手の顔を見たが、非常に思いつめた表情で「払え」と繰り返すので気迫に押されて払うことにした。もしこれがへらへらした奴だったら絶対払わなかっただろうが、真剣な人間は何をやらかすか分からないからだ。痛い出費である。

 案内男が発券窓口に行っている間、僕は少し離れた場所で待っていた。ターミナルビルの発券窓口は行き先別に並んでいて、手前には混雑時に順番待ちの列を導く低い鉄柵がいくつも並んでいるものの、今は10数人しかいない。外の乗り場で出発を待っているバスの方には結構人が乗り込んでいるようなので、発券ラッシュが落ち着いたところといった状態のようだったが、ストライキが多少なりともネパールの交通機関や乗客に影響を与えていることは間違いないだろう。
 男がこちらにやって来て発券された乗車券を見せながら、
「券は買えたが来るのが遅かったようだ。座席がもう無いらしい」と言った。
 僕はゲストハウスでカトマンドゥからインドのバラナシまでの通しのバス乗車券を予約し、前金で払っていた。当然座席は確保済みだとばかり思っていたのでそのことを強く主張すると、「分からない。取りあえずバスへ行ってみよう」と言って歩き出した。座席が無いということは立ちっぱなしを強いられるということなのだろうか。少なくとも国境までは10時間近くかかるはずだ。冗談ではない。「座席は無いが、座れるそうだ」と彼は言うのだが、心配である。
 バスはおなじみのTATA製のくたびれた車体だった。乗客は8割方座席に着いていて、運転手は外でフロントガラスを汚い布で拭いていた。案内男は運転手に券を見せて何やら喋っていたが、やがて運転手が僕にここに座れと言って運転席横の盛り上がっている場所を指差した。
「この券に書かれている座席番号はこの場所のことだそうです。良かったですね、場所があって。では僕はこれで」
 そう言って案内男は券を僕に手渡してさっさと歩き去った。この扱いは一体何なんだ。本当にこんな所に座って走るのかと運転手に言うと、「そうだ。いい場所だぜ」と言った。

 ネパールやインドのバスは殆どがインドのTATA社製である。無愛想な箱型の車体、不必要なものは一切付いていない車内。馬力はありそうだがエンジン音がやかましく、排気ガスも派手に撒き散らす。古いのか作りが雑なのか大抵窓の留め金は馬鹿になっていて、振動で徐々にガラス窓が開いていく。座席は固く左側は2人掛け、右側は3人掛けというのが基本である。出入り口は前と後ろに2箇所あり、ワンマンではなく必ず車掌が同乗している。車掌の仕事は乗車券の発行、乗車賃の管理、そして客の呼び込みである。
 運転席は大抵客席と壁で仕切られている。ニューヨークのタクシーのようなイメージだが、仕切りは簡単な柵だけのものから窓とドアが付いた立派なタイプのものまである。助手席には普通車掌が座り、客の多い時は乗客も座る。僕の場所は運転席と助手席の間である。真下に大きなエンジンが鎮座していて床の鉄板が大きく盛り上がっている。その上に座れと言うのである。すぐ横にはクラッチレバーが突き出ている。座れるだけでもマシだし、一番前なので眺めもいいかもしれないし、却って後ろの座席に座るより足を伸ばせる分楽かもしれない、と良いように解釈することにした。振り返って客室を見るとほぼ席は埋まり立っている人も見えた。
 だが発車間際になって立っていた人達がこちらのスペースに入ってきた。車掌が気を利かせて何とか座れるスペースを作ろうとしたのだ。その結果、少し広めで前後に2つあった助手席に2人づつ合計4人、僕の背後の扉の前にある引っかかりに板を渡してそこに1人が座ることになってしまった。眩暈がしそうなくらいの混み様である。これで山越えの曲がりくねった道路を10時間。なかなか楽に移動できないものである。おまけに、予想していたことだが、走るにつれてエンジンが熱を帯び、それが尻を通して伝わってくるのだ。踏んだり蹴ったりである。更には、今夜の宿代を考慮した上でギリギリしかネパールルピーを残しておかなかったので、朝のタクシー代で予想外の出費をする羽目になった結果、昼食を食べる余裕もなくなってしまった。前の日に買ったビスケットと水だけである。
 そして日も暮れ夕闇の支配が7割を超えた頃、国境の町スノウリに到着した。街道沿いに商店等が立ち並ぶ小さい町である。道路には巨大なTATA製のトラックが国境を越えるための行列を作っていた。その列の先にネパールとインドを分かつ国境があるのだろう。しかし今は闇の中である。今晩はネパール側のゲストハウスに泊まり、明日の早朝、日の光の下に露になった、しかし目には見えない国境線を越える。インドは、今や目と鼻の先である。

( Nepal / 2002 )


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