ドブロブニクから

 ドブロブニクという舌を噛んでしまいそうな名前の町にいます。クロアチアの南端にある港町です。
 雪が残るサラエボからバスに乗って、山を越えするりと国境を抜けるとアドリア海が見えてきます。深く青い海です。海岸沿いに国道が走っていて、小さな湾には白い壁とオレンジ色の屋根の家が、くっ付きあって建っているのが見えます。ポツリポツリとリゾートホテルも建っています。見下ろすと、小石が多い白い浅瀬が次第に緑色に透き通って、やがて濃い青へと変わっていくのが見えます。波打際まで樹々が生い茂った、大小の島々も見えます。
 しばらく走ると、再びボスニア・ヘルツェコビナに入ります。ここでのチェックはとても簡単です。パスポートを見せるだけです。ハンガリーからブルガリアに行くためにセルビア・モンテネグロを通過した時は、入国管理官が日本人はビザが不要であることをちゃんと把握してなかったらしく、一悶着ありました。ブルガリアからセルビア・モンテネグロに列車で入った時は、乗り込んできた審査官にしっかりとチェックされたし、詳しい事情は分からなかったけれど、ブルアリア人らしい女の子が降ろされてしまったようでした。セルビア・モンテネグロとボスニア・ヘルツェコビナの国境はバスで通過したのですが、地元の人は身分証明書かパスポートを見せるだけ、旅行者(僕一人)だけが降ろされて、事務所でスタンプを押してもらうという手順でした。
 さらに走ると飛び地のようになったクロアチア領に入国します。有料道路の料金所みたいな建物の脇を、減速してバスごと通過するだけです。チェックすらありません。こんなややこしい国境などを見ても、かつての旧ユーゴスラビアの国々は、未だに複雑な関係の上に成り立っているのが感じられます。
 ドブロブニクはそんな飛び地にあります。

ドブロブニク

 城壁に囲まれた旧市街に圧倒されました。直径2キロ程の町が、完全に高い城壁に囲まれているのです。登ろうと思っても登れない、完全で排他的な壁です。幾つか跳ね橋が架り、そこから中に入ることができます。白っぽい石でできた重々しい城壁のトンネルを抜けると、そこはなんだか映画のセットのようです。つるりと磨かれた白い石畳のメインストリートが真っ直ぐ走り、その両側には3階建てくらいの灰色の建物が、ぴしりと並んでいます。そのまま真っ直ぐ進むと、突き当たりの右手に広場と教会があります。通り沿いの建物の1階部分は店や銀行やカフェになっていて、外に並べられたテーブルや椅子には、午後の時間を過ごすカップルや家族連れなどが座っています。大通りから垂直に伸びる細い路地が、いい加減な間隔で何本かあります。この路地は高低さを作りながら町の中を複雑に結んでいて、闇雲に歩くと迷いそうになるくらいです。見上げると、壁に真っ直ぐに切り取られた青い空があります。
 路地を適当に歩いているといつの間にか、作り物じみたメインストリートとは違う、生活感のある場所に出たりします。路地を挟んだ2階のひさしにロープが張られ、洗濯物が吊されています。天気が良くて乾燥しているので、気持ちよく乾いて微かな風に揺れています。何処かの家から洋楽のポップスが聞こえてきます。猫がとことこと歩いていきます。不思議なことに、人が住んでいる気配はするのに住民をあまり見かけません。奇妙に静かなのです。だから余計に異世界に迷い込んでしまったように感じるのです。変な旅行者がうろついているから、隠れているのかもしれませんが。
 城壁には時々四角いトンネルが開いています。出入り口や港に繋がっているものもあれば、壁に「NO NUDIST」なんて書いてある、海に面した外壁の真下に出る穴もあります。ここに来ると、岩の上に石が組み上げられて、強固な城壁へと変化していくのが分かります。冬だけど風が遮られるので、日光が当たって暖かな岩の上で、学生風の若者が岩の上に寝そべって本を読んだり喋ったり、おばさんが釣りをしていたり、猫が居眠りをしていたりします。僕も一緒に日向ぼっこをして、居眠りをします。

ドブロブニク

 上に登る階段も何箇所かあります。こっそり登っても、壁に開いた穴からおじさんが顔を出してチケットを買えと言います。ここから城壁の上に出ることができるのです。15クローネ(約260円)払って上に出ると、本当に町は囲まれているのだと実感できます。灰色の厚い枠に嵌っているせいか、オレンジ色の瓦屋根がぎっちり詰まって微妙な起伏を作っている旧市街が、一層窮屈に感じられます。冬の晴天らしい少し白っぽい青空と、海の濃い蒼の間に挟まれてしまった、浮遊都市みたいに見えます。もしも引き止める重力がなければ、すぐにでも町全体が空中に浮かんで行きそうな錯覚さえ覚えます。そんなことを考えながらゆっくり1周すると、1時間くらいかかってしまいます。

 どうも旧ユーゴスラビアの国は、かつての内戦の印象が強くて正直言って腰が引けていたのですが、心配するほどの問題もなくここに至っています。一般的なルートを通れば交通手段もしっかりしているし、入国係官に「ようこそ!」なんて歓迎されたりもしました。
 しかしここに至るまでに、内戦の傷痕をあちこちで見ました。
 サラエボのオリンピックスタジアム補助競技場を埋め尽くす白い十字架や、爆撃で穴の開いた新聞社社屋ビル。気味が悪いくらいの数の銃痕が残るアパートには今も住居者が暮らしていて、ベランダには洗濯物が干されています。セルビア人支配地側へと続く山の斜面には、所々「地雷注意」の看板が立っています。そもそもサラエボ市内は、セルビア共和国側とボスニア・ヘルツェコビナ側とでは使われている文字も違うし、長距離バスターミナルも分かれているのです。両者間を結ぶトラムが走っているとはいえ、ちょっと信じられません。このドブロブニク旧市街の城壁も、内戦で砲撃を受けてかなりの部分が破壊されたらしく、現在やけにきれいに整っているのも、「危機に瀕する世界遺産指定」に伴うその後の修復作業の成果なのです。
 これらは目に見える傷痕ですが、もちろん住んでいる人たちにも内戦は大きな影響を与えました。ベオグラードで泊まったプライベートホテル(自宅の空き部屋に旅行者を泊まらせる。宿主によって当たり外れが大きいみたいです。中東欧にはこのタイプの宿が多くて、駅やバスターミナルを降りると、わらわらとその客引きが集まってくる)の主人はやけに太っていたのですが、昔の写真を見せてもらってびっくりしました。とても痩せていたからです。その写真と比べると、現在は目鼻口は変わらないのに顔の輪郭が2倍くらいに広がっています。戦争のストレスで急激に太ってしまい、それ以来元に戻らないと彼は話しました。客商売だから愛想はそこそこ良いのだけれど、ふと見せる寂しげな表情が、彼の苦労を映し出しているように感じてなりませんでした。
 僕にはもちろん戦争の経験はない。幸いなことに巻き込まれたこともない。それでも戦争の悲惨さや、後に残る悲しさは十分に感じることができる。壊れたものは直せばいいし、悲しい記憶も時間が経つにつれて徐々に薄れていってしまう。僕たちはそこそこ打たれ強くて、前向きな生き物だからです。しかし都合の悪い過去を隠して、同じ失敗を繰り返してしまうくらい、愚かでもあります。だから世界からは紛争や戦争がなくなることはないし、今現在もイラクで戦争が始まろうとしているのではないか。そんなことを考えてしまいます。

 出発前には、ドブロブニクに来ることはもちろん予定していませんでした。でも前から気にはなっていて、パリのユースホステルで出会った人にこの辺りの情報を聞いているうちに、どうしても行きたくなってしまったのです。僕の悪い癖ですね。それからは、行く先々で会った人に情報を貰い、ガイドブックの地図をノートに写しつつ、中東欧を縦断しながらここまで来てしまったわけです。もちろん君がメールで送ってくれた各国情報も、全体のイメージや見所を把握するのに役に立ちました。でも旅行者同士の間で交わされる口コミ情報は侮れない、と今回初めて初めて実感しました。同じような旅行者の横の繋がりには、ある種の同業種組合みたいな結びつきがあるようですね。スペインに居た時にはそんな世界は見つけられなかったので、もっと情報を集めておくんだったと、ちょっと後悔しています。
 日本人宿もそういう情報網によって知ることができました。ハンガリーのブダペストには、老舗を含め3軒もあったし、ソフィアにもありました。ドミトリーですがその分安いし結構清潔です。そしてそこには連綿と受け継がれている、場所や内容が限定されているとはいえ、ガイドブックより詳しい情報ノートがあります。それ目当てに来る旅行者もいます。やはり同じようなタイプの人間ばかりが集まるようで、面白い話が聞けたりします。

 明日、バーリ行きの夜行フェリーでイタリアに入ります。パリからえらく遠回りしてしまいました。もうあまり時間が残っていないので、最初の予定通り周れそうにもありませんが、旅に出る前に聞いていたお薦めの町には行ってみるつもりです。伝聞情報をもとに、実地調査して、自分の経験にしなくてはなりませんからね。それが旅というもんです。

 時々強く岩にぶつかる音が、単調な波音にアクセントを付けています。
 まだ日が沈むまでには2時間くらいあります。

( Duvrovnik / Croatia / 2002 )