6-05 触らぬ神に祟りなし 前編

 2002年6月11日、コルカタ市内はひっそりと静まり返っていた。

 サダルストリートにある安宿を出て、インド唯一の地下鉄に乗るために7、8分ばかり離れた地下鉄乗場に向かっている途中、昨日とは街の様子が違うことに気が付いた。
 何か朝食でも探そうと思って寄り道したニューバザール前の広場も、昨晩の喧噪や立ち並ぶ屋台、ネオンの賑やかさなどはすっかり消え去り、紙屑が風に吹かれているような不気味なほど寂しい空間になっていた。大通り沿いにずらりと並ぶ商店街は軒並みシャッターが閉められていて、開いている店といえば薬局や高級そうな土産物屋など数軒だけだった。9時半頃だったからまだ開店していないのかとも思ったが、それにしても通りを歩く人もまばらである。昨日同じ場所を通った時には前に進むのも面倒臭くなるくらい、むやみやたらに人がいた。いくら店が開いていないからといってこんなにも人気がないのはおかしい。通りを走るバスや車の数までも少ないようである。

 地下鉄乗場へと降りる階段の手前に来た時、中から数十人の人がどっと出てくるのにすれ違った。地下へと降りる長い階段を一度折り返してホームへ辿り着いた。切符の買い方が良く分からなかったが、僕の前にいたインド人のオジサンも分からないみたいで、窓口の駅員に聞いていたので少し安心して、僕も窓口で行き先を行って切符を買った。
 がらんとしたホームにあるベンチに座って列車を待つことにした。数人のインド人の男達がうろうろしていてカーキ色の制服に長い警棒を手にした警官と何やら言い合っていた。喧嘩が始まりそうな雰囲気もあったが多分これが普通のベンガル語の調子なのだろう。何事も起こらず、暫くすると男達は柵を乗り越えてホームを出て行ってしまった。柵を乗り越えて?
 ホームは薄暗いということもないが、こういう場所のそれほど数の多くないまばらな蛍光灯の灯りは、どことなく地下室のような陰気な雰囲気を醸し出すものだ。そんな中で、保険会社か何かの看板が赤や青の眩しい光を放っているのがいやに浮いて見えた。日本の地下鉄構内のような上下2本のホームの、こちらにも向かい側にも殆ど人がいない。発車時刻が電光掲示板に示されていて、僕がここに来てからすでに3本ほど到着していることになっているのだが、いつまで経ってもやってくる気配すらない。7分くらいの間隔なので既に20分以上は過ぎている。待っている人も異常なほど少ないし先程の男たちも鉄柵を乗り越えて外に行ってしまった。ようやく何か妙だと思い始めていると、先程の警官が近づいてきた。
「どこに行くのだ?」彼は聞き取り難い英語で質問した。
「カーリーガート駅だ」僕は答えた。
「カーリー寺院に行くのか?バスで行きなさい。今日は地下鉄は動いていないよ」しかつめらしい表情で、さらりととんでもないことを言った。
「え?どうしてですか?」
「今日、市内はストライキなんだ。明日になれば動くのだがね。そこにいる駅員に切符を見せて出て行きなさい」そう言って彼は改札に立っている男を警棒で指し示した。
「はあ、そうですか」
 どうりで人がいない筈だ。それならそうと、張り紙をしておくとか駅員が窓口で説明するなどの対応をしてほしいものである。蒸し暑く人気が無い地下鉄構内で無為な時間を過ごしてしまった。
 それにしても、ストライキというのは困った状況になったものである。街がゴーストタウンのようだったのも納得が行く。こんな時こまめに現地の新聞などを読んでおくと前もって対処できるのだが、旅先で新聞を読むほど余裕はない。テレビも見ない。というより、テレビのある部屋になど殆ど泊まったことがないし、ニュースをやっていてもヒンドゥー語ではさっぱり理解できない。インターネットではこまめに印・パ情勢をチェックしているものの、現地のストライキ情報までは把握できない。さて、どうしたものか。
 改札の駅員に切符を見せると、
「OK、OK。明日は動くよ。また明日乗って下さい」と言って、切符の裏側にボールペンで明日の日付を書きなぐってから返してくれた。僕はその切符を受け取って何だかいい加減だなあと思いながら改札を通り抜けて階段を上がろうとしたところで、明日はバンコクへ飛ぶことになっていたことを思い出した。すっかり失念していた。払い戻してもらおうと思ったが面倒なことになりそうだし(お互い英語が拙いから)、空港へは地下鉄とバスを乗り継いでも行くことができるらしいのでこのままにしておくことにして、階段を上った。途中、天井に開いている換気口の鉄網を作業員が掃除していた。かなり埃が巻き上がっていそうだった。僕が近づくと彼は手を止めて僕が横を通り過ぎると再び作業を始めた。地下鉄の駅員も彼くらい気が利くと良いのだが。

 外に出ると太陽が結構高い位置に昇っていて、それに従い気温も律儀に上昇していた。先刻より道行く人は増えているようだが、相変わらず多くの店は閉まったままだ。何だか疲れてしまい、カーリー寺院へ行くのはやめてインド最後の日に映画でも観ようと思い、来た道を戻った。昨晩サダルストリートやニューバザール周辺を歩いた時に何軒か映画館を発見していたのだ。閑散とした広場を抜けてニューバザールの北側あたりの映画館まで行くと、入口には鉄柵が閉まりその前に数人の男達がたむろしていた。まだ開館していないのかとも思ったが、既に正午を過ぎているので1回目の上映は始まっている時間帯である。仕様がなく、ここから数百メートル離れたもう1軒の映画館に行ってみることにした。そこの看板には題名は分からないがムンバイなどでよく見かけたポスターと同じ絵が描かれていたはずだ。途中にも落書きのような殺人キャベツ人形やらジェイソンみたいなホッケーマスク男などが適当に描かれた看板を掲げた映画館があったが、そこも閉まっているようだった。しかし、開いていたとしてもこんな不気味な看板の映画館に入るなんて真っ平である。
 向こうから歩いてくる2人連れのインド人の若者の、背の高い方に見覚えがあり思わず「おう」と挨拶してしまった。昨晩この辺りをうろついていた時に彼が声を掛けてきたのだ。僕は外出する時は常に布製の小さい肩掛けカバンを襷掛けしている。彼は僕がカバン本体を尻側に向けていたのを見て、「ここら辺はスリがとても多いから、カバンは身体の前に持ってきてないと危ないよ」とアドバイスしてくれたのだ。親切な人だと思った反面、逆に何だか怪しい感じもしないでもなかったが、きっちり礼は言っておいた。
「何してるの?」その若者も僕を覚えていたらしく、握手を求めてそう質問してきた。
「これからあそこの映画館で映画でも観ようと思ってんだ」僕は映画館の方向を指差して答えた。
「あー、だめだよ。あそこは休みだ。僕らも映画を見ようと思って行ったんだけど、閉まっていたよ」と彼は映画館の方を見ながら言った。
「そうかー。反対側の映画館も閉まってたよ。ストライキだから?店も開いてないし地下鉄も動いてなかった。そもそも、今日は何のストライキ?」と僕は疑問に思っていたことを質問してみた。地元の人に聞くのが一番手っ取り早いからだ。
「そうだ。ストライキだ。だから今日はみんなクローズしている。パキスタンとの戦争が始まるかもしれなくて、それに抗議するためのストライキなんだ」一緒にいた、襟付きのシャツに綿のズボンを穿いたパリッとした身なりの若者が答えた。
「え、戦争始まりそうなの?本当?まずいなあ。このストライキはインド全土でやってんのかな?」
「コルカタだけだよ。今日1日だけだから、明日には普通に戻るはずだけどね」
「今どこに泊まってるの?」と昨日会った若者が言った。彼は黒っぽいTシャツにジーンズといういかにも学生風な服装で、耳にはピアスをしていた。
「え、あー、あそこ、カルカッタゲストハウスっていう所。リキシャーのオッサンに紹介してもらった宿に泊まってる」本当は泊まっている宿の名前を簡単には言いたくはないのだが、この時は正直に答えておいた。別に彼らに隠す必要もないと判断したからだ。
「ふーん。よく分からないなあ。マリアホテルとかパラゴンホテルって知ってる?日本人の多い宿だけど」
「知ってる。でもあまり泊まりたくはないけどね」
「この辺りの、日本人の多い宿には日本大使館からの連絡が来てるよ。早く国外に出た方が良いという内容のはずだ。君も早く出国した方がいいかもよ」ピアスの若者がそう言った。
 どうして彼らがそんな詳しいことを知っているのかもとても気になったが、大使館から旅行者に向けて連絡が出るほどこの国の状況が悪化していることに対して、少なからず衝撃を受けた。スピティにいたときも、パキスタン国境に比較的近いために地元の人も旅行者もカシミール情勢には敏感になっていたし、他の土地でも、出会ったインドの人達が戦争に対して批判的な意見を言うのを何度か聞いていた。しかし、一見しただけではそのような緊張感は街にも人々にも見出せなかったので、たまにインターネットでカシミールで爆弾が爆発したり戦闘が起きたり、インド在住の日本人がスムーズに帰国できるように日本政府が特別機を用意したなどのニュースを見てさえも、それほど切迫した状況を感じることができず、どこか対岸の火事のような気分でいた。だが、音もなく着実に戦争状態は進行し浸透していたのである。
「僕もそれを確認しに行ってみるよ。でも僕は明日タイに行くんだ」
「それは良いね。早く離れた方がいいよ」
 そして僕らは別れた。ちなみに、彼らは大学生で夏休みを利用してコルカタに遊びに来ているそうで、泊まっているホテルが僕のよりも数ランク上だったので、少し惨めな気分になってしまった。
 夕方、僕はパラゴンホテルに行ってみた。安宿とはいえ、門があり、受付から客室がある建物までは吹き抜けのような明るい空間になっていた。僕が今泊まっている宿よりも格段に開放感があった。受付の反対側の掲示板に、コルカタの日本総領事館からのメッセージのコピーが貼ってあった。6月4日付けで、インドに渡航延期勧告が出たので在住者や旅行者に早めの出国を促す内容だった。このことに関しての説明会の日程なども書かれてあった。先日デリーのネット屋で見た外務省のホームページと同じ内容だった。僕は明日の飛行機でバンコクへ行く。「逃げるが勝ち」という言葉に何の抵抗も感じない方だ。「逃げた魚は大きい」ともいうが、次来た時もインドはインドなのだ。
 奥の談話スペースのような場所に数人の日本人男女がいた。
「カーリー寺院に行ってきたんですか?」
「そうですね、今日行ってきました。ストライキでしたけど、バスは動いていましたんで」
「どうでした?私、明日行ってみようと思ってるんですよ」
 そんな会話が聞こえてきた。僕は受付にいたインド人の若者に礼を言って、外に出た。空は雲で覆われ辺りは薄暗くなりつつあった。

 リキシャーが、サリーを来た恰幅の良い女性を乗せて、コルカタの狭い路地を抜けて行く。
 背が低い引き手の男は、首の高さにある引き棒を抱えるようにしっかりと握り締め、真っ直ぐに背筋を伸ばして一心不乱に正面を見つめながら、重い車体を引っ張っている。腰に巻いたドーティーから伸びる、浅黒く余計な肉の付いていない引き締まった細い足が、アスファルトの道路を一歩一歩掴んで、一蹴一蹴後ろへ追い遣っていく。
 警笛の代わりに木製の引き棒に石を打ちつける、コン、コンという乾いた音が響いていた。

( Kolkata / India / 2002 )