5-09 ダンカル

 3時間半という信じられないくらいの遅れでやって来たバスに乗り、50分くらい満員の車内に立ち、シシリン村で下車した。 朝は曇っていた空も、昼になりすっかり晴れて、刺すようなという表現がぴったり当てはまる太陽光線が、まっすぐに続く道路の両脇に家が立ち並ぶ街道沿いの村を余すところなく照らしていた。南西には鼠色に濁ったスピティ川が、太古の流れの跡である広々とした川底に幾筋も溝を刻み込みながら流れていた。その川の向こうと、反対の村の北東側には1本の木すら生えていない岩と砂の丘、そして山がそびえていた。
 ここからダンカルゴンパがあるダンカル村までは6キロほど離れている。僕は歩くつもりだった。ダンカル村へのバスはなく、タクシーをチャーターしなければならなかったからだ。バス亭の前の小さな食堂でトゥクパとモモを食べていたので、腹ごなしの運動にちょうどいい、はずだった。
 しかし、斜面を登っていくのは思いの他体力が必要だった。九十九折に曲がりくねったアスファルト道路もあったが、僕は直線的に上を目指している、人の足跡で踏み固められて白い筋のように見える細い道を選択した。しかし実際に歩くと斜度が急で、小石が多くて滑り易く歩き難い道であることが分かった。
 そしてここは標高が3,000メートル近いことを思い出す。路線バスも通るし周りを更に高い山で囲まれているので、つい忘れてしまうのだ。どうりですぐに息が切れるはずである。

インド・ダンカル

 日は高く日差しは強く、足元は歩きにくい斜面で、標高も高い。重いリュックを担いで歩ききることが出来るだろうか。少し無謀だったかと後悔するが、今となってはもう遅い。
「終らない道はないのだ、少しずつでも歩きさえすれば前に進めるのだから、時間はかかっても目的地には着くはずだ」
そう自分に言い聞かせながらゆっくりと登った。自分の情けないほど激しい呼吸の音と足音の他には、道路工事のために河原から石や砂利を運ぶトラクターのエンジン音だけが遠くから聞こえていた。
 やっと、最初のアスファルト道路と交わる場所に辿り着き、近くの岩に腰掛けて乱れた呼吸を整えた。横には何故だかトラクターが止まっていた。とても声を出せる状態ではなかったので、軽く片手を上げて挨拶した。トラクターには3人の若い男が乗っていて、運転席に座った男が手招きをした。荷台に詰まれた土砂の上に座っている残りの2人も同様に手を振っている。最初は何をしているのか分からなかったが、どうやら乗れということらしかった。
 僕はリュックを担ぎ上げてトラクターに近づき「乗せてくれるのか」と尋ねた。運転席の男は、何も答えず軽く首を横に傾け(インドの人はうなずく時首を縦ではなく横に倒すのだ。これは、了解した、OKだというジェスチャアでもある)、自分の横に出来た狭いスペースを軽く叩いた。僕は渡りに船とはことことだと心の中で思い、「ありがとう」と礼を言った。リュックを荷台に乗せ、シートの隙間に腰を下ろしたことを確かめ、ドライバーはトラクターを発進させた
 道中は無言だった。彼ら3人ともサングラスを掛け、強い紫外線と細かい埃を防ぐためにバンダナで覆面のように顔を覆っていたので表情があまり分からない。だが、後ろの2人が時折鼻歌のようなものを歌っているので、機嫌は良いのだろうと判断した。しかし、何か喋ろうと思っても、エンジン音がうるさくて声が聞き取れないだろう。文字通り唸りをあげ、上に突き出たマフラーから黒い煙を噴出しながら、ゆっくりと確実に道路を登っていく。180度のカーブを曲がるたびに少しずつ周りの景色が変わっていった。僕が座って一休みした岩は、遥か下だった。500メートルごとに立っている道標を見るたびに、そして現れては消えるショートカットの道を見るたびに、歩かなくて良かったとしみじみ思った。
 途中、突然止まったのでここまでなのかと思い降りようとしたが、ドライバーはやはり無言で制した。後ろの1人が降りてペットボトルに入れてあった水をエンジンルームの上にある穴から注ぎ入れた。勢い良く、水蒸気が立ち上った。全て入れ終わると、再びトラクターは動き出した。

 30分ほど走り、カーブの手前に来たときに、ドライバーが左手を真っ直ぐに伸ばし前方を指した。先程から岩山の陰に何回か見えていたダンカルゴンパのある方角だったが、ここからは手前の斜面に隠れて見えなかった。どうやらここから歩いて行けということだった。僕はトラクターを降り、リュックを担いで彼らに最大級の礼を言った。ドライバーはまた首を横に1度曲げて、口元を斜めにしニヤリと笑い、ゆっくりと坂道を登っていった。
 そこからさらに30分ほど歩いて、ダンカル村に到着した。
 もう、トラクターの音は聞こえなかった。

インド・ダンカル

( Dhankhal / India / 2002 )