5-07 ナコ

 午後2時半頃に、ヤンタンに到着した。ナコはここから幹線道路を外れて車で20分ほど山へ入ったところだ。ここに来る手前にナコへの分岐があったが、話に聞いていた通り土砂で埋まっていた。バスを降りたのは僕を含め4人で、僕以外の3人とは指定券を買えなかったあの欧米人3人組だった。彼らは満員のバスの中でずっと立つはめになっていたので、開放されてほっとしているようだった。簡単に挨拶を交わした後、近くにいる宿屋の男と交渉が始まった。ナコまでジープで200ルピー。1人頭50ルピーということになる。イスラエル人男性のシャハという若者が懸命に値切ろうとしていたが、結局言い値で行くことになったようだ。
 ジープは土砂除去作業中の道路を乗り越えて20分で村に着いた。この辺りはスピティ川からだいぶ離れた、山の中腹の、少し開けた場所だった。村に近づくにつれて段々畑が多くなり、道路脇などに白い幹の背の高い木が植えられていた。ちょっとした雑木林になっている場所もあった。
 宿は村に2軒しかなく、そのうちの1軒は普段はあまり利用されない団体客用宿泊施設だったので、僕達は村の入口にある普段から営業している方の宿に泊まることになった。ちょうど4ベッドの部屋しか空いてなかったので、4人でシェアすることになった。28歳のイタリア人女性ロベルタと、22歳のスイス人女性バネッサ、そして24歳のイスラエル人男性シャハだ。彼女ら3人は暫く前から一緒に行動していたようですっかり打ち解けていたが、僕は直ぐにはどうにも馴染めなかった。
 まず、僕が英語を満足に喋られないので、必要最小限のコミュニケーションしかできない。それに加えて人見知りをする性格なのだからどうしようもない。しかし同時にこういう状況が面白いとも思う。4ヶ国の人間が同じ部屋で寝起きを共にするなんて、日本ではまず経験できないからだ。だから僕なりにそのシチュエーションを楽しむことに決めた。

インド・ナコ

インド・ナコ

 部屋に荷物を置くと、早速僕は村の中を散歩してみた。午後から天気が崩れ、今にも雨が降りそうな雲行きで風は冷たく、ズボンのポケットに手を突っ込みながら歩いた、
 比較的平らな丘のようになった土地に、家が密集していた。長方形に整えられた石を積み上げた四角く直線的な形の外壁には、白い漆喰が塗られている。窓枠と窓は木製で、青や緑に塗られている。外から見ると家同士が融合して、隣家との明確な境界が分からないのだが、ちゃんと壁で仕切られているのだろう。石垣に囲まれて、牛や羊、山羊が飼われていた。村の入り組んだ細い路地を歩くと、大人よりも子供とすれ違うことが多かった。いくつかゴンパがあり、老婆が中で巨大なマニ車(経の1文が書いてあり。1回しすれば1回経を読んだことになる)を経文を唱えながら回しているのが見えた。
 何故だか分からないが、僕はすぐにこの村が気に入ってしまった。何があるというわけでもなく、むしろ何もないのだが、どこか無意識のなかで心惹かれるものがあった。自分に良く似た顔立ちの村人を見た安堵感なのか、時間の流れ方が僕達の住む世界とは違っているような気がしたからなのか、はっきりとしたことは分からないが、兎に角強く惹かれる何かを感じたのだ。
 建物の1つから、鋸を挽く音や木槌で材木を叩くような乾いた暖かい音が聞こえてきた。屋根から屋根に紐が何本もかかり、五色の小さいタルチョーがたくさんはためいていたのでゴンパであることが分かった。扉が開いていたのでそこから中を覗くと、男達が大きな丸太を切っていた。彼らは身体を動かしているので暖かそうだ。
 暫く見ていると、横の扉から女性が顔を出し、僕を手招きした。一体何だろうと思って中に入ると、そこには竈があり、調理場兼食堂兼休憩室のようだった。女性が何人かで調理していた。彼女達は僕にチャイをくれた。
 やがて外で作業をしていた男達や女達が次々に部屋の中に入ってきた。最初は僕を見てびっくりするのだが、「ジュレ」(挨拶。この地方特有の言葉で、ヒンディー語の「ナマステ(こんにちは)」に相当する)と僕が挨拶をすると、彼らもにっこり笑って「ジュレ」と返してくれた。食事の時間のようだったので僕はチャイの礼を言って出ようとしたが、皆に食事を用意していた女性が、ステンレスの大きな皿にご飯を山盛りよそって豆のスープをかけたものを僕の分も持ってきてくれた。豆と塩と玉葱とマサラだけのシンプルな味ながらも、とても美味しく身体の温まる味だった。
 英語が少し分かる若い女性がいたが、僕の名前が伝わった程度で言葉によるコミュニケーションはほとんどなかった。しかし、とても落ち着く、安心感のある雰囲気が満ちているように思われた。
 食事が終ると1人また1人、外に出て行った。僕も皆がするように、皿に少し水を入れてもらいそれできれいに洗って、食事当番らしき女性に返した。そして改めて礼を言ってからそのゴンパを辞した。食事をご馳走になったということもあるが、腹だけでなく心もとても満ち足りた気分になった。

インド・ナコ

 ナコに滞在して2日目。晴天続きで太陽は厳しい光を投げつけ、何もかもが乾燥していた。標高は3,000メートル近い。日中は暑いが、夜は蒲団を被って寝ないと風邪を引いてしまうような温度にまで下がった。
 村の東側の斜面、200メートルくらい上にゴンパが1つあった。村の家と同じような石造りの白く四角い建物で、大きなタルチョーが脇に2本立っていた。隣接する広場みたいな場所には屋根付きの、高さ2メートルくらいのチョルテンが9基立ち並んでいた。状態もきれいで、人の痕跡はあるのだが、ゴンパの扉には鍵が掛けられ辺りに人の気配はなかった。プラスチック製の殻のバケツが転がっていた。午前中、僕は村の南側斜面を登り、奥に広がる砂と岩ばかりの山腹に出来た羊飼いの小道を辿って、往復4時間の距離を歩いていたので、少々疲れていた。だから、ゴンパの前庭の壁にもたれて直射日光を避けながらぼんやりしているうちに、何時の間にか眠ってしまっていた。
 微かな地鳴りのような音で目が覚めた。地面が揺れているわけではないが、地を這うような低く連続的な音がどこかから聞こえていた。僕はびっくりして立ち上がり、辺りを見回したが、別段変わった様子はなかった。まるで谷間を流れる急流のような音だったが、スピティ川は数キロ先の更に数百メートル下を流れているので、ここまで聞こえるはずはない。しかし、相変わらず低い周波数の音が聞こえてきていた。
 もういちど下の方を見ると、段々畑で畑仕事をしている女性が小さく見えた。彼女達は手を休めて、じっと上の方を見ているようだった。僕が今いる場所より少し南(左手)の、ずっと奥の雪山から谷が続いている方向である。ようやく、その音の原因に気が付き、僕はそちらに行ってみることにした。
 登ってくる時は、なぜこんな水も無い所に用水路のような溝があるのだろうと思ったのだが、今は、そこを茶色く濁った水が勢い良く流れていた。実際、場所によっては溝から溢れ、周りの土を削り取る程の勢いだった。休むことなく、どんどん目の前の小川は流れていた。

インド・ナコ

 季節の変わり目に偶然ながらも立ち会えたことに、僕は感動していた。今までの生活の中では、境界があやふやで、何となく桜が咲き始めたから春だとか、いつの間にか山が茶色く色付いているから秋になったのかというようにしか季節というものを感じたことはなかった。しかし、今、急激に、一瞬にしてこの場所に春が訪れたのである。この劇的な変化が、この土地で暮らす人々に厳しさと、美しさと、そして生命の力強さをもたらしているのだと感じた。

 翌日、ほとんどの家のタルチョーが真新しい鮮やかな色に変わっていた。段々畑に掘られた溝には徐々に水が溜まりつつあった。
 俄かには信じられないくらい蒼い空と、乾いた砂と岩と少しばかりの緑の中で、風にはためくチョルテンがとても鮮やかなアクセントになっている、明解で、これ以上殺ぎ落とすことなど不可能な根源的な美しさの存在する土地だった。

インド・ナコ

( Nako / India / 2002 )