4-12 ムンバイ~デリー

 暑すぎる。

 セカンドバッグにぶら下がっている温度計を見る。気温40度。ペットボトルの水を飲んだ時、中身がお湯に変わっていたのが理解できた。脳味噌が溶けて耳の穴から流れ出ていってしまうような暑さだ。息苦しくなっているのは気のせいではないだろう。もしかしたら、これが熱中症というやつなのだろうか。
 天井に付いている扇風機が一心不乱に車内の空気を攪拌している。確か、暖められた空気は上昇するのではなかったか。ということは熱い空気を乗客に吹き付けていることになる。扇風機も我々の体温上昇に一役買っているわけだ。唯一の冷房設備だというのに。
 窓も開いていない。インドの列車の窓には大抵鉄格子が嵌っていて、内側には上部に収納可能のガラス窓と鉄製の雨戸がある。今は雨戸が閉められているため、外からの風も一切入っては来ない。晴天なのに雨戸が閉められている理由は2つ。1つは、西寄りの強烈な日差しを防ぐこと。もう1つは、炎にあぶられているような錯覚さえ起きる高温の熱風を防ぐことである。

 ムンバイを午後9時半に出発したこの列車は、順調に北上していた。現在時刻は午後3時。進行方向に向かって通路の左側には向かい合わせで6人掛けの寝台座席(夜になると、普段は背凭れの様に畳んである寝台を倒す)があり、僕の席もその1つだった。左にはデリーまで行くと言う会社役員のような雰囲気の初老のインド人男性が、窓枠に肘を置き頬杖をついて眠っている。30代くらいのスペイン人男性が上段の寝台(上段は常に寝台が出ている。中段は夜以外畳まれている。乗客は昼間は下段の寝台の上に腰掛ける状態)で大人しくしている。どうやら本を読みながら寝てしまったようだ。彼は、赤く薄いハンカチを軽く握った手の中に押し込んで、息を吹きかけて手を開くと消えていて、耳の後ろから取り出すという手品ができた。これが周りのインド人の乗客達から大人気を博し、せがまれて何度もやっていた。ジュースの売り子(全て男性)がわざわざ見せてくれと頼むくらいだ。僕は無芸な人間なので少し羨ましかった。折り紙くらいなら折れるが鶴とか奴さん止まりである。
 眠いが暑さと汗が気になって寝る気分にはなれない。その他の座席には旅行帰りのような家族が座っている。それぞれ退屈な車内で漫然と暑さに耐えなければならない時間帯だった。周囲からの話し声もあまり聞こえず、列車の走る重い騒音と振動も単調さを増長させていた。

 1時間くらい前までの車内は賑やかだった。僕と左隣の紳士は駅弁(注文すると、ターリー(インド定食)を持ってきてくれる。車内で調理をしているのか、カレーも暖かい)を食べた。スペイン男性は係員が注文を取りに来た時偶々寝ていたので、注文できなかった。昼飯抜きかと心配していたら「なぜ起こしてくれなかったんだ」と理不尽に腹を立て、係員に頼み込んでいた。だがやっと昼食にありつけたはいいが、あまり美味しそうではなく、しきりに辛いと言っていた。踏んだり蹴ったりだが機嫌は治ったようだった。
 家族連れは駅弁を頼まなかったのでもうすぐ下車するのかと思ったが、そうではなかった。頭上の上段寝台にお母さんがいたのだが、目の前の席に座った30代半ばの息子が立ち上がって母親から何かを受け取り横にいる姪に渡した。盆の上に乗った食事である。息子は次々と受け取り皆に行き渡ると自らもむしゃむしゃ食べ始めた。チャパティー、サブジー(野菜カレー)、アチャール(インド風漬物)、キュウリなどで構成された彼らの昼食は駅弁にも引けを取らない立派なものだった。どうやらお母さんが僕の上で食事の準備をしていたらしい。インドは列車の中で七輪を使って調理する人がいるという話を聞いていたが(当然火気厳禁なので禁止行為だ)、なるほど分かる気がする(この時のお母さんは火は使わず、キュウリを切ったり、サブジーやご飯を器によそう程度だった。念のため)。
 彼らの大胆な行動を目の当たりにし驚いた顔をしていると、僕の様子に気付いた息子が、「母さんの手造りだ」と言って味見を勧めてきた。そんなに物欲しそうな顔をしていたのかと思い少し恥ずかしかったが、遠慮せずに戴くことにした。サブジーとアチャールを一抓(つま)みづつ食べたが、駅弁よりもちょっと美味しかった気がした。僕はインドマサラやスパイスの微妙な味の違いがよく分からないので何とも言えないのだ。でも間違いなく、出来立てのお袋の味という点が印象を良くさせていた。
 彼らは手造り弁当を食べ終わり賑やかに話し始めた。特に息子が大きい声でよく喋り場の中心になっていた。そして、時たま目を見開いて「むははははは!」と怪人二十面相の如き笑い声を上げた。実際に二十面相の笑い声を聞いたことはないが、とにかく豪快で怪しげな音声である。左隣の老紳士も交えてヒンディー語で盛り上がっていた。たまに「インドはどうか?」とか、「どうしてこんなくそ暑いノンエアコンの急行列車に乗っているのだ?」などと英語で質問され、適当に答えた。むしろ懇切丁寧には答えられない。僕の英語のボキャブラリーが貧困だし、感覚的に感じている旅の雰囲気を具体的に説明することは日本語でさえ難しいからだ。
 彼はしまいには歌まで歌い出した。3曲ばかり気持ち良く歌い終わると、「何か日本の歌を歌ってくれ」と僕に言ってきた。以前タイにいた時、チェンマイで若い僧侶に話しかけられ、日本の歌が好きだと言ってスピッツの歌を歌ってくれたことがある。日本語が上手いネパールのトレッキングガイドも、日本の友人からテープを送ってもらったそうで、ゆずやウルフルズなど何曲も日本のポップスを歌っていた。でも何となくこの場でポップスを歌うのは恥ずかしいし相応しくない気がした。古い歌謡曲などはもしかしたら知っているかもしれないし、演歌や民謡などは日本的だがどれも僕はよく知らないので歌えない。ならば、童謡か。何を歌う。暑いから「海」か?「春の小川」も捨て難いし、「ふるさと」の郷愁を誘うメロディーもいい、「さくらさくら」は歌詞をよく覚えていないが適当に誤魔化してしまうか、などとあれこれ考えた末に「海」を歌うことに決め頭の中で一度歌ってみてからさあ声に出そうとした時、「むはははは!」という大きな笑い声が聞こえてきた。僕が躊躇逡巡している間に他の話題になってしまったらしい。何なんだ、おっさんよ。僕のこの一大決心をどうしてくれる。
 こんな風に昼食後暫くは、あまりの暑さで頭がおかしくなったのではないかと心配になるくらい賑やかだったが(主に息子の奮闘によるところが大きかったが)、午後3時の車内には熱気と眠気と倦怠が漂い、所々淀んでいた。
 30分ほどたった頃列車が駅に止まり、冷たい水を求めて乗客が急いでホームに下りて、水道の蛇口から空のペットボトルに補充していた。窓の外をアイス売りが通りかかり、車内に声を掛けてきた。息子が立ち上がり、1個10ルピーのアイスキャンデーを買い次々に家族に手渡し、僕にも1つくれた。オレンジ味のシンプルなアイスキャンデーだ。礼を言うと、「むははははは!いいから食え!」と言った。あくまでも豪快な人だった。

 午後4時過ぎに、マトゥラーでその一家は降りていった。座席の下や上段の寝台にぎっしり置いてあった、夜逃げでもするかのような大量の荷物と共に。
 インドの人は旅行が好きなようだ。特に僕が旅行した4月から5月は夏休みにあたり、学校なども休みになるのであちこちの観光地で家族連れを見かけた。彼らは例外なく大量の荷物を伴って移動していた。ホテルで自炊するくらいの勢いで家族旅行の準備をしているようである。狭いゲストハウスのツインの部屋に一家6人が泊まることもある。この目で見たから間違いはない。彼らの旅行に対する情熱(ずうずうしさは除く)は、我々バックパッカーも見習いたいものである。
 午後6時過ぎにデリーに入った。空気はまだまだ熱く、空はスモッグが出ているのか、ぼんやり濁って息苦しい雰囲気だった。駅を一歩出ると、オートリキシャーのドライバーが群がってくる。無視してメインバザールの方へ歩く。手品をしていたスペイン人も近くでドライバーに囲まれていた。デリーは初めてだと言っていたので、きっと面食らっているだろう。メインバザールに泊まるとも言っていたので連れて行ってやろうと彼に声を掛けると、つたない英語だったのが災いしたのか、それともパニックに陥っていたのか、「何言っているか分からない!俺は行きたいところがあるんだ!」と怒鳴られてしまった。目が泳いでいた。僕はそれ以上関わらないことにして、さっさと離れることにした。デリーの洗礼を受けるのも彼の今後のためだろう。そう思いながら、メインバザールへと向かった。
 汗がこめかみを伝って流れ落ちる。

 未だに、大地の熱は静まっていない。

( Mumbai / India / 2002 )