3-03 片棒担ぎ

 サイクルリキシャーが、灼熱の太陽が照りつけ、陽炎の立ち昇る道路をひたすら走る。漕ぎ手の男が、黙々とペダルを踏んでいる。右足と左足を交互に踏み下ろす単純運動の連続。その動きに合わせて、男の肩も左右に揺れる。しかし、彼のシャツの背中には汗の染み一つ無い。
 半日30ルピーで契約したのだが、うまい話には裏があるとは良く言ったものだ。一大観光地アグラで生きるリキシャーワーラーのしたたかな生き様を見せ付けられることになってしまった。

 アグラはインド一有名な白い宝石、タージマハルがある街である。当然、インド国内はもとより世界中から、白亜の棺を見るために多くの人々がこの街を訪れる。観光客が増えれば大金が動き、大金のある所に一儲けしようとする者達が群がってくるのは、インドの常識である。彼らは観光客から少しでも多く稼ぐために、あの手この手を使ってアプローチを仕掛け、日頃の努力と研鑚を惜しまず、てぐすね引いて待っているのだ。
 宿から歩いて行ける距離にあるタージマハルは午前中に見学し、その後彼のサイクルリキシャーで、歩くには遠い郵便局へ行き絵葉書を投函した。

「ベビータージでも見に行こうかな」
 昼食後、僕は彼に言った。ベビータージとはイティマド・ウッダウラー廟のことで、タージマハルの原型になった小さな廟があるので俗にそう呼ばれていた。ここから5キロほど離れている。
「そこに行くとは言っていなかったぞ」すかさず彼が、少し嗄(しゃが)れた高い声で言った。
 そうなのだ。午後はアグラ城でのんびり過ごすことにしていたのだ。しかし、まだ午後一時半を過ぎたばかりで時間がありすぎた。空にはうっすらと雲が広がっているので、直射日光を浴びることからは何とか免れてはいたものの、十分過ぎるくらい暑い。正直言って、あまり移動したくはないのだが、自転車を漕ぐのは僕ではない。単に暇つぶしが必要だったのだ。
「最初の約束と違うからだめだ」
「じゃあ、もうアグラ城に行ってくれ」僕は投げ遣りに言った。どうしてもベビータージに行きたいわけではなかったし、この気温の中での不毛な言い合いも避けたかった。
「まだ早すぎる。夕方からで十分だ。それまでいい所に行こう」にやりとして、彼はペダルを漕ぎ始めた。
「また?行かないって言ったやんか!」僕は大きい声を出した。
 ここへ来る前、一悶着あったのだ。彼は僕の指示を無視して、しきりに土産物屋に行きたがった。郵便局とは全く逆方向へ走るのでさすがに腹が立ち、「止めろ!降りる!」と怒鳴って歩いて行こうとした。彼は僕に合わせてゆっくりサイクルリキシャーを走らせながら謝ってきたので、もう寄り道はしないことを条件に再び乗り込んだ。そして、彼はしぶしぶ郵便局へと向かったのだった。
 だが、昼食の間に先程の約束を忘れてしまったのか、懲りもせずに勝手に走り出したのだ。これには只々呆れるばかりである。
「どうせ今からアグラ城に行っても暑いだけだ。その間に土産物を見るのも悪くはないだろう?旅行のいい記念になるぞ。五分でいいから」と彼は必死に捲し立てた。
「5分?」僕は時間を指定することが気になって聞いてみた。
「そう、5分いてくれれば良いんだ。実は、観光客を連れて行くと店から1人あたり10ルピーのコミッションが貰えるのだ」とちょっと照れくさそうに彼は言った。
「は?」
「買っても買わなくてもいい。でも、最低5分いることが条件なんだ」
 この街にはこんなシステムがあったのだ。恐らく、観光地では公然の秘密というやつなのだろうが、こうもはっきり言われるとさすがに返す言葉もない。だが僕は、普通だったら観光客に秘密にするべきことを、悪びれた様子もなくあっさり言ってしまうこの男に好感を持った。そして、どうせすることもないのだし、手練の土産物屋のテクニックを見てみるのも悪くはないという気がしてきた。
「本当に5分でいいのか?」
「そうだ。何も買わなくても問題はない」
「じゃあ、まずどこへ行く?」
「行ってくれるのか?」彼は、顔を輝かせてそう言うと、ペダルを踏む足に力を入れ始めた。「まずは、マーブルだ!アグラといえばマーブル、マーブルと言えばアグラ!」

 その後僕達は3時間程の間に、マーブル工芸品店、絨毯屋、シルク屋、土産用衣料品店、総合土産物屋、シルバーアクセサリー屋を回った。僕が適当に商品の説明を聞いたり、値切ってみたりしている間、彼はお茶を飲んで寛いでいた。全く、気楽な奴だ。誰のおかげで10ルピーを手に入れることができると思っているのだ。僕はそのツアー中にTシャツを一枚と安物マーブルの香立て(残念ながら小荷物で日本へ送ったときに壊れてしまった)を買った。段々と2人で仕事をしているような気分になってきて、中々楽しかったのは事実である。
 最後の店を出ると、そろそろアグラ城へ行くべき時間になっていた。彼は上機嫌であった。彼は途中の路上のチャイ屋に止まり、チャイまで奢ってくれた。それはそうだろう。今日の稼ぎは僕が払う30ルピーに加え、6軒分のコミッション60ルピー、合計90ルピーである。観光客の減っている暑期のこの時期では、1週間分に相当する収入になるのではないだろうか。
 愛車の座席の下には、銀色の弁当箱がぶら下がっていた。42歳だというが、皺は多いものの若く見える顔だった。笑うと、何本か抜けている前歯が見えた。「俺は生まれたこのアグラの街が大好きだ」と言っていた。
 彼は今も「5分だけでいいんだ」と言いながら、サイクルリキシャーのペダルを漕ぎつづけているのだろう。

インド・アグラー タージマハール

( Agra / India / 2002 )