2-12 2002-3-22 mail

 お元気ですか?
 無事山から下山して、昨日カトマンドゥに戻ってきました。
 18日間、日本語が達者なラルとディリップという二人組みの若いガイドと一緒に、歩き続けてきました。ガイドのラルはサッカーが好きなようで、サッカーの選手になりたいらしい。ネパールにもサッカーリーグがあるようです。今の日本代表は中々いいチームなので、ワールドカップでも活躍するだろうと言ってました。やはりナカタの名前は知っていましたね。
 彼は日本のポップスも好きで、日本人の友人から送ってもらったカセットテープで覚えた歌を、歩きながら歌っていました。上手かったです。以前はフルートも吹いていたそうで、旧王宮前広場などで友達と演奏していたこともあるそうです。中々多彩な奴でした。
 最近娘が生まれたばかりのディリップは、ネワール系で日本人のような顔立ちのラルとは違い、どちらかといえばインド人のような雰囲気の目の大きな男でした。よく喋る調子の良い奴で、やたらと金儲けについて熱弁を振るっていました。そんな彼も奥さんに対しては頭が上がらないのか、彼の家に昼食を招待されたときは、いつもは堂々と吸っている葉っぱも、部屋の入口の扉を閉めて窓を開けて換気を気にしながらこそこそと吸ってました。それにしても、まだ3ヵ月くらいの娘さんは彼に似て目の大きなかわいらしい子でした。
 彼ら、特にラルの足はとんでもなく早くて、彼に遅れまいと着いて行くので精一杯でした。何度か、昼食に寄った食堂(大概はロッジに併設されている)やロッジの人に、そんな時間でここまで来るなんて信じられないと言われてしまいました。
途中で少し、価値観の違いとかで気まずくなったこともありましたが、何より彼らは本当に山と山歩きが好きだったので、いいガイドだったです。
 山はでかかったです。ほとんど川沿いに谷とか崖を歩きました。両脇の山は雪が積もっていなくても4,000メートル近くあるので、高さの感覚が狂ってきます。自分が3,000メートルの標高にいても、両側に六千メートルの雪山があれば、本当に訳が分からなくなります。
 天気は18日間のうち2日くらい、午後から雨が降った程度で、あとは晴天続き。アンアプルナ、ダウラギリ山系の雪山をほぼ毎日眺めながら快調に歩きました。
 3,000メートルを越えると、大気中のチリや水蒸気などが少なくなるので、太陽がすごく眩しくなります。雪山に反射して、周りが青っぽく見えてきます。日が当たる所は時に30度近くなり、日が沈めば一気に2、3度くらいまで冷え込みます。高い木も生えていなくて、低木と岩と石と砂と雪の乾燥した世界でした。
nepal2002-54 トロン・ラという、世界一標高の高い、人が通れる山と山の間の峠を越えた時は、標高が5,416メートル。少し曇っていて、気温はマイナス20度でした。前の晩は4,800メートルのところで1泊しました。夜寝ているときの部屋の中は0度を切っていました。冷蔵庫の中で寝ているようなものです。蒲団の中は体温で一応暖かですが、手なんか出せません。毛糸の帽子をかぶっていないと頭が冷たくて寝ていられないくらいです。気のせいか、蝋燭の炎も勢いがないように見えましたが、これは寒さのせいではなく、空気が薄いせいなのかもしれません。
 空気は、本当に薄かった。思い切り吸い込んでも、ちっとも満足できない気分です。何もしていないのに、立っているだけで時々、急に息苦しくなることがありました。他の欧米人(アジア人は僕意外に1人の日本人にしか会わなかった)の中には、高山病で気持ち悪くなったり、頭が痛くなったりして、上に登れずもう一泊していく人や、下山していく人が何人もいました。しかし僕は頭が痛くなる事もなく、すぐに息が上がってしまうことを除けば、低地と同じような感じで行動する事ができました。どうやら、海にも山にも僕の身体はある程度適応できるみたいです。
 高いところは、とても静かでした。風の音と、自分の息の音、心臓の音、足音、服のすれる音、それくらいです。周りの尺度が大きすぎて、自分が何処に居るのか分からなくなりそうになりますが、そういうとき、自分の身体から出る音で、自分の存在を確かめられました。
 次はインドに行こうと思っています。ネパールと陸続きだし。でも、今日ビザを申請したのですが、4月1日まで待たなければならず、ちょっとうんざりしています。時間かかりすぎです。インド政府の怠慢です。日本やバンコクで申請していれば二日で取れたのに。でも、まあこれも旅の楽しみだと思って、もうしばらくネパールにいることにします。
 山では食費が町の最高3倍くらいするので、毎日結構質素な食生活をしてきました。今、その反動で、とても食欲があります。日本食、そして菓子が食べたい!
 それでは、また。

( Khathmandu / Nepal / 2002 )