序文 写真の理由

 写真と文章を通じて、被災地の現状を感じてもらいたい。
 そして、皆さんが何か行動を起こすきっかけになってもらいたい。

 これがこの写真をお見せする理由です。


 自分が大変お世話になったNさんという方が今も仙台で暮らしています。
 3月11日は運良く別の町にいて直接の罹災は免れました。
 しばらくNさんはその町や実家に避難していたのですがいよいよ仙台へ戻ることになり、僕はいてもたってもいられずその人の所へ向かうことにしました。震災直後の一番心配な時間に力になれなかったこともあり、何の役に立つかは分からないけれども自分にできることをしてあげたい気持ちで一杯でした。
 それから少しずつ写真を撮り始めました。
 10年以上前に何度か訪れたことはあるものの殆どは初めて訪れる場所ばかりでしたし、以前の町の様子をあまり知らないのでそれほど深い思い入れもありませんでした。
 最初は確かに訪問者の感覚で歩き、撮影していました。

 しかし。

 実際に歩いてみると、言葉を失うような被害の状態を目の当たりにし、テレビの映像や新聞記事では伝わってこない、現実の臭いや音を感じました。

 災害ボランティア活動に参加することで、被災された方の話や、県外から東北へやってきてボランティア活動を行っている人たちの話を聞くことができました。

 Nさんに直接被災した友人や会社の方との携帯メールや電話でのやりとりを聞かせてもらったり、関わりのある町が変わってしまった姿を見て心から心配する姿を間近で見ていると、ここで起きていることはいつか自分の身にも起こることなのかもしれないと思うようになりました
 今までは関わりの無かった町や人が、同じ国に住む者として他人事のように考えられなくなっていったのです。

 自分の五感でいろいろな現実を直接感じることができたからこそより強くそう感じたのだと思います。
 行動してみるということが如何に大切かということを改めて思い知りました。


 3月11日以降、おそらく日本中の誰もが被災地の方々をとても心配し、いてもたってもいられない焦りを感じていたでしょう。彼らのために何かできることはないかと考え、すぐにも行動を起こしたい気持ちになったと思います。

 しかし当初は現地に近付くことができませんでした。
 道路や交通網が寸断され、余震が頻発し2次災害の危険性が高い状態が続きました。予測の付かない原発事故やそれによって引き起こされた放射能漏れ等も、救援、支援活動に大きく影響を与えていました。
 私たちはテレビや新聞、インターネット等からの情報を得ることしかできず、毎日胸を痛めながら何もできない自分の無力さを感じました。募金をし、節電や節水を心がけ、被災地へ支援物資を送ることくらいしか行動できなかったのです。

 現在、状況は変わってきています。

 未だ通じていない道路や線路が多くあるものの、寸断された道路や線路は目を見張る早さで修復が進められています。それにより高速バスや復旧した鉄道が各地を結び始め、被災地支援の拠点となる比較的大きな町への移動は可能になりました。
 各地区のボランティアセンターが全国から専門・一般ボランティアを募集し、受け入れ態勢を整え効率よく活動を行える状況になってきています。
 今までは見守ることや間接的な支援しかできなかった私たちが直接行動しようと思えばそれが可能な状態になり始めたのです。


 1948年に発生した福井大地震、1997年の重油流出事故、2004年の福井豪雨を経験し、沿岸部に原子力発電所を何基も抱えている私たち福井県民にとって、東北や関東で起こった震災、津波、原発事故、そして今現在も続いている避難生活や終わりの見えない復興作業は決して無視できるものではありません。

 今、被災地から遠く離れた福井に住む私たちに何ができるでしょうか。

 これから求められるのは、実際に行動することだと思います。

 1人1人が出来ることはほんの僅かでしかありません。
 でもそれが10人、100人と集まればとても大きな力になります。
 その力が1週間、1ヵ月と続けば状況は見違えるほど好転するのです。

 これらの写真と文章を通じて、被災地の現状を感じてもらいたい。
 そして、何か行動を起こすきっかけになってもらえればと思います。

岩手県陸前高田市
[2011-5-19 15:16]
これは陸前高田市の高田松原に1本だけ残った松です。撮影時はまだ元気そうでしたが、今は枯れつつあるそうです。