Piece. 16 「がんばりましょう!」

宮城県気仙沼市本吉
[2011-5-21_15:51]

 漁師町らしいがっしりした体格と日焼けした顔の割には物腰が柔らかく丁寧な言葉使いのその男性は、以前気仙沼市内で塾の講師をしていたのだと言った。
 現在はこの気仙沼市本吉町の清涼院避難所の青年部代表をしていた。

 この地区はまだ水道が復旧しておらず(2011年5月21日の時点)、自衛隊の給水車が毎日給水を行っていた。お風呂は薪を使った五右衛門風呂だ。30人ほどが本堂で生活し、何軒かのお宅も小さな避難所として機能しているようだった。
 寺自体は高い場所にあるので津波の被害は無い。しかし海はすぐ近くで、同じ小さな地区内でも流された家と残った家の差がはっきりしている地形だった。

 僕は2日続けてこの避難所で作業の手伝いをしていた。
 昨日、青年部代表代理のメガネを掛けた細身の若者に「明日は来ないんですか、一昨日までいたボランティアさんは連続で3日間来てくれましたよ」と言われたせいもある。しかし僕自身がもう1日ここへ来てみたいと思ったからだ。

 住んでいる人たちみんなが、どこそこの誰々と言うと関係者も含め素性がすぐに分かってしまうような地域の結びつきが強い場所だった。そのため避難所としてだけではなく地域のコミュニティセンターとしての役割もしていて、色々な人がふらりと顔を出すようなアットホームな雰囲気だったのだ。
 他の避難所をいくつか見てきた人が、ここは信じられないくらい居心地が良いと言っていたのが分かる気がした。
「まあ住んでいる人たちの顔が狭いだけに、いろいろと問題もあるんですけどね」と代表が苦笑いしながらこっそりと僕に言った。

 各避難所へ配る配給食糧の仕分けも終わり、僕たちはブレハブの事務所で休憩をしていた。
「皆さんのようなボランティアさんに来ていただいて本当に助かっています。正直ここの作業自体は大したことはありません。でも来ていただけることが僕たちにはとてもありがたいことなんです」

 晴れてはいたが、明け方に激しく降った雨のせいでかなり蒸し暑くなっていた。
「狭い地域でずっとこんな状態でいると正直言って息が詰まってしまうんです。でもボランティアの皆さんがここに来てくれることでいろいろな方と話ができますし、ここ以外の場所との繋がりを感じることができるので気持ちが楽になれるんです」と彼は静かに話を続けた。
「僕は明日帰るので今日までしかここに来れないんです」と言うと、
「どうもありがとうございました。またいつか、この町に来てください。海が綺麗な場所ですから」
 そう言って彼は笑った。

 基本的にはそこにいる人たちが自分たちで乗り越えていくしかない。
 私たちはその手伝いしかできない。
 でも私たちのほんの少しの力が集まり、その集まった力が続いていけば、町や田んぼや海が少しずつ元に戻っていく。
 住んでいる人たちに笑顔が戻っていく。
 そしてそれはいつかまた私たちの笑顔に戻っていくのだと思う。

 避難所の事務所になっているプレハブ倉庫の壁には、力強い大きな字でありがとうございますと書かれた旗が貼られていた。いつの間にかそこにみんなが寄せ書きを残していくようになっていた。
 迷わずに僕はこう書いた。

 「みんなでがんばりましょう!」

/* 気仙沼市本吉 — 宮城気仙沼市 — 2011 */