Piece. 11 「おばあちゃんの道」

岩手県大船渡市
[2011-05-18_17:03]

 細い湾になっている大船渡の町。
 海と山の間の僅かな平地に、かつては工場や倉庫、店や住宅が建ち、JR大船渡線も走っていた、そんな町だ。

 僕は瓦礫と基礎部分しかなくなってしまった家を越えて、当分列車が走ることのない線路の上を歩いていた。
 辺りにはまだつやつやとして新しそうな屋根瓦が散らばっていた。
 線路の向こうは5mほど高い住宅地になっていた。

岩手県大船渡市
[2011-05-18_16:26]
岩手県大船渡市
[2011-05-18_16:28]

 線路脇から住宅地に続く砂利の細い上り坂を、腰が90度近く曲がったおばあちゃんがゆっくりゆっくり登っていた。
 よく見ると両手に屋根瓦を持っていた。
 線路の周りに散らばっていたものと同じ屋根瓦が坂道の下に何枚か積み重なっていた。

 僕は積み上げられた瓦を持って坂道の上に辿り着いたおばあちゃんのところへ行った。
 屋根瓦はずっしりと重たかった。
 何度目かの「こんにちは」でおばあちゃんはようやく僕に気が付き、手に瓦を持っているのを見ると「あれあれ、ありがたいことです」と言った。
 置く場所を確認してから、線路に散らばっている割れていない瓦を集めて、坂道の下に積んであった瓦と一緒に運び上げた。
 おばあちゃんは坂道の上にしゃがみ込んで、何度も何度も「誰かは分かりませんが、ありがたいことです」と繰り返した。

 瓦運びを終えた後、僕はおばあちゃんの前にしゃがんで「お家はどこ?津波の時は大丈夫だった?」と聞いた。
 耳が遠いみたいなので、顔を近づけて会話する。
「私の家はあそこにありました」と線路の向こうの何もない場所を指差した。
 瓦が散らばっていた場所だった。
「瓦だけ残りました」と言った。
 残った瓦を拾い集めて、津波で崩れた砂利の坂道の両側に補強を兼ねて並べていたようだった。
「あそこにお家があったのに無事でよかったね」と僕が言うと、また「ありがたいことです」と言った。

 耳が遠いため地震の後津波が来てるという放送が全然聞こえなかったのだそうだ。
 おばあちゃんの家の真上の高台に住んでいる孫がその日たまたま仕事が休みだったおかげで、孫に連れられて5mほど上にある孫の家に逃げることができた。
 しかしその後、孫の家の1階3分の2くらいまでが水没してしまったのでさらに高い場所へ一緒に逃げたと話してくれた。

「私は92歳になります。こんなに生きていていいのかなあと思います」と何度も言うので、
「大丈夫やって。そんな津波からも助かったんやし、瓦運ぶ元気もあるんやから、まだまだ長生きしてや」と言うと、おばあちゃんはありがたいことですと言って目を閉じた。
 日に焼けた皺だらけの顔が、もっと皺くちゃになった。

 太陽が傾き僕たちのいる坂道の上は近くの建物の影に入ってしまったが、その下のおばあちゃんの家だった場所はまだ明るく照らされていた。
 そういえば、と思った。
 この坂道は多分おばあちゃんの家と高台の上にあるお孫さんの家を繋ぐ裏道だったはずだ。
 おばあちゃんの家はもうなくなってしまった。

 両側に綺麗に瓦が並べられた坂道の上に、野菜の苗が植えられた発泡スチロールの箱がいくつか置いてあった。
「ここをちゃんと直しているのです。これもまた最近育て始めたのです」
 そう言って、おばあちゃんは少し恥ずかしそうに目を細めた。

岩手県大船渡市
[2011-05-18_17:33]

 後日、おばちゃんから手紙が届きました。
 いつまでもお元気で。

/* 大船渡 — 岩手県大船渡市 — 2011 */