Piece. 05 「思いやる心」

宮城県東松島市野蒜駅付近
[2011-05-24_17:52]

 石巻駅の周辺はいまだに潮の臭いがした。
 真夏の海岸に漂う古くなった海水が干上がったような臭いだ。
 地面の隅には乾いた砂が溜まっている。
 この辺りは海から3kmほど離れているはずだった。近くの旧北上川を遡ってきた津波が川から800mほど内陸のこの辺にまで被害をもたらしたのだ。

 駅の反対側にある、閉店したショッピングセンターを改装した石巻市役所の1階の壁には50cmくらいの高さに泥水の跡が残ったままだ。今日から罹災証明の発行が始まったようで、2階の業務フロアへ続く階段には申請をする人たちの行列ができていた。

 駅から海の方へ歩く。
 とても薄い雲の膜に覆われた柔らかな色の青空が広がり、日向を歩いているとじんわり汗が出てくる。
 やがて、丘の端の、海が見渡せる場所に辿り着いた。

 海岸から自分が立っている丘の間は一面瓦礫で覆われ、ひしゃげた鉄骨の建物や傾いた住宅が所々に残っているだけだった。
 瓦礫を脇によけて造られた細い筋のように見える道路を、自衛隊車両やパトカー、タクシーなどが土埃を上げて走っていた。

 丘の上から麓のかつてお寺だった場所へ坂道が続いていた。
 自転車を押したおじさんがゆっくり登ってきて、坂道の上に置いてあるベンチの近くで自転車を止めて息を整えていた。
 こんにちはと挨拶をすると、「兄ちゃんも写真撮ってるのか?どこから来た?」と声を掛けてきた。
「この前もテレビカメラがいたなあ」と言いながら彼は町を眺めた。
「おじさんはこの辺りに住んでいるんですか?」と聞いた。
 坂の上の丘には、水道こそまだ復旧していないものの津波の被害を受けていない住宅街があるからだ。そこに住んでいる方かと思っていた。
「俺はおっかいどうだ」
「北海道?」
「そう、大街道。家は浸水して半壊になっちまったから、この上の避難所にいんだ。近くの自衛隊のお風呂入りに行って、その帰りにこの辺周りながら戻ってきたんだ」と言った。
 大街道はここから少し西にある町の名前だった。
 先ほど通りすぎた女子高や中学校が避難所になっていたのを思い出した。
「ここからの景色は随分と変わってしまったんじゃないですか」と聞くと、そうだなあ、変わったなあと頭をぐるぐる掻きながら言った。
「そうだ、牛乳飲むか?たくさんもらえるからやるよ」
 自転車籠の中に入っていたビニール袋から小さなパックの牛乳を2個出してきた。
「わざわざ仙台から来てくれたんだろ?しっかり写真とんなよ」
 そう言って彼は自転車を押しながら住宅街の向こうへと歩いていった。


 旧北上川沿いに進み、日和山公園に登った。

 涙ぐみながら町を眺めている女性がいた。

 川沿いの自宅の1階部分が浸水してしまった初老の男性が言った。
 津波の第1波では眼下に広がる家々は殆ど残っていた。
 山へ避難できないタイミングの人々は2階へ逃げた。
 第2波の津波が殆どの家を飲み込み、今立っている日和山のふもとまで町のすべてが流れてきたそうだ。
 半分くらいの人はもうここに住みたくはないだろうと言っていた。

 でも、と男性は言葉を続けた。
「女川とか大川とか志津川とか他の小さい漁村とか、本当に町の全てが無くなったところもたくさんある。かわいそうだよなあ」

 東松島市の漁村にも、同じことを言っているおばあさんがいた。
「私の家は1階の半分くらいまでしか水が来てないからまだいいのよ、それよりも向こう(東松島市の東名駅や野蒜駅辺り)行った?あそこはねえ、大変だねえ。この前多賀城に行ったんだけど、あんな大きな町にもねえ…」
 店の中の泥が付いた桶を洗いながら少し聞き取りにくい方言でそう言った。

 自分も当然大変な状況なのに、自分のことより他の人を気遣い心配をする。
 僕も同じ目に遭ったとき、同じことができるのだろうか、言えるのだろうか。

/* 東名・野蒜付近 — 宮城県東松島市 — 2011 */