Piece. 03 「見なれた町の中で」

宮城県多賀城市
[2011-04-06_18:15]

 4月上旬。
 ちらほらと気の早い桜の花が咲き始め、日の光も静かに温度を増し始めていた。
 東北の遅い春がようやく訪れ、町の雰囲気も少しずつ明るさを取り戻しているかに見えた。

 仙台市の北に隣接する多賀城市。
 市を南北に走る国道45号線や県道10号線の周りには、ガードレールの上に乗っていたり横転したり大きなトレーラーの下敷きになった乗用車がそのままの状態で放置されていたままだった。
 撤去予定が書かれた紙が貼られている車もあるが、まだ少し先になるようだった。
 交差点には信号が無かったり、電気が通っていなくて点灯していない信号もまだある。
 そんな道路を普段と変わらず乗用車やバスが通り過ぎていく。
 車道の脇を自転車で走っていると、あちこちに細かいガラスの破片が散らばっているのでパンクしてしまわないかと心配になった。

 日が沈んでも、外灯や周りの建物から漏れる光はない。
 車のヘッドライトとテールランプ、遠くに見える街の灯りだけだ。
 広い道路がまるで何十年も前に誰も居なくなった古い廃墟のように見えた。

宮城県多賀城市
[2011-04-06_18:02]

 仙台市内のコーヒーショップやファーストフード店にいると、周りから聞こえてくる会話の中に毎回必ずといっていいほど地震関係の話題が出てくるのに気付いた。
 おじいちゃんが津波に流されてしまったという高校生から、震災を機に彼氏の見方が変わったという若い女性、美味しくもないお米やリンゴが地震直後のモノがない時期に信じられない値段で売られていて仕方がないから買ってしまったというおばさん、やっと出張にも今まで通りの交通手段で行けるようになったと話すサラリーマンまで話題は様々だ。
 電車の中で聞こえてくる会話も同じようなものらしい。

 市内中心部の多くは被災地であるものの被害はそれほど大きなものではなく、ライフラインも4月中旬には復活した。
 殆どの人がいつもと変わらない生活を送っている。
 それでもここに暮らす人々の中には、町や生活が元に戻ったとしても消えることのない記憶や思いがずっと残っていくんだろうと思った。

宮城県多賀城市
[2011-04-06_18:29]

/* 県道23号線付近 — 宮城県多賀城市 — 2011 */