Piece. 02 「それぞれの話 壱」

[2011-5-17_18:42]

宮城県 気仙沼市 女性(80代)————————————————–

今朝、避難所で女性に聞いた話で、気持ちが楽になった。

女性は、お母さんと一緒に家にいて津波に遭った。
2階に逃げたが、家が持ち上がり、そのままどんどん流された。
2階まで水が来て、どっかに夢中でしがみ付いて・・・
そこからの記憶が無い。気づいたら、丘の上に家ごと取り残されていた。
一緒に居たお母さんは水を飲んでしまい、助からなかった。
しかし、助かった女性の方は水を飲んではいたが、苦しかったなどの記憶がなかった。ただ、気が付いたら助かっていた。あんな状況の時は苦しさも何も分からなくなるのかもしれない。

うちのおとうちゃんも逃げ遅れて津波で流されてしまった。
“どんなに苦しかっただろう”と毎日考えて辛かったが、
今日聞いた話で、“きっと苦しまずに何もわからないうちに逝ったのかな”と思えるようになり、気が晴れた。

宮城県 気仙沼市 女性(70代)————————————————–

元は文房具の卸の仕事をしていた。倉庫は流されたが、一部文房具で使えるものもある。
洗濯バサミのようなものもあるので、写真洗いに提供したい。
他、筆箱なども提供したい。
「本来は売り物なのでは?」
「こんな時だから、売るより価値がでるでしょ。」

[2011-5-17_18:15]

宮城県 仙台市若林区 女性(30代)————————————————–

       
自分の実家は内陸にあるため津波の被害はなかった。しかし、近所の小学校が避難所となり、荒浜地区の大勢の方が集まった。
実家の水道は4日後くらいに復旧し、プロパンガスであったため、
水の復旧とともにお風呂に入れるようになった。
避難所にいる方は、津波を被ってしまい髪や服に泥がついたままの状態の方もいた。入れる人数は限られているが、家のお風呂を解放し、毎日十数人の方にお風呂を提供し続けた。

お風呂は気分を替えると思った。
でも今月のガス代や水道代が少し心配(笑)

宮城県 気仙沼市 女性(60代)————————————————–

テレビでは「避難所生活はプライバシーが無いから壁を作ることに一生懸命になっている」と伝えるでしょ。
でもうちの避難所は誰も壁を作らない。 “顔“が見えるから。
先日も起き上がらないお爺さんが具合が悪かったのをいち早く気づくことができた。
テレビの報道がすべてでない、と伝えてほしい。

宮城県 気仙沼市 男性(40代)————————————————–

よく分かんなかったんですよ。
地震の後津波が来るとは思っていました。この建物のすぐ下の道路まで水が来ていましたし。
でもあんな状態になっているとは思わなかったです。
火災にしても向こうの空が赤くなっているから何かが燃えているのは分かる。
でもどこがどのくらい燃えているのかも分からないし、こっちはどうすることもできなかった。

2ヶ月以上経ってだんだん現場も落ち着いてきて、さあこれから具体的に何をしていかなければならないのかという時期になったんですけどね。
正直何をしていいのか考えられないです。
「これから」がよく見えてこない。
まあできることからちょっとづつやっていくしかないし、本当は僕らがこう言っちゃうとだめなんですけどね、でも分かんないや。
それでもやってくしかないですね。

[2011-5-17_19:00]

/* 気仙沼港付近 — 宮城県気仙沼市 — 2011 */